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(8)おかえりなさい ! 秀樹君との別れはあわただしかった。ロードスターで庄原の自宅まで送ってもらったのだが、別れにふさわしい血のような赤色(この車は何色にでも変換できる)であったためか、自宅の玄関で別れのあいさつをしているあいだにも、近所の人たちが、ちらほら車を見にやってきた。秀樹君に、まあ家にあがってお茶でも飲んでといったが、今度ゆっくりお世話になりますということで、さっさと車に乗り込み、セルモーターをブルルンとまわし、まるで逃げるようにスタート。 砂けむりをあげながら、100メートルほど行った所で、夕日に照らされながら急角度で空に舞い、2,3回左右に揺れ、お別れのダンスをし、キラキラッと光ったかと思うと、夕焼けの雲の中に消えてしまった。 近所の人も私の家の前に集まって、この情景をポカンと見ていたが、ハッとみんなわれに帰り、一体自分たちはなにしてたんだろうという風にお互いがキョロキョロしていた。わたしもボーゼンと空を見ていたが、妻が「あなた、あなた。」と体をゆするのでハッと気がつき、妻の方にふり向き、まだボヤーとしていると、 「お帰りなさい、あなた、何かありましたの、おおぜいの人が家の前にいますよ。」 「ああ。」と生返事。 「とにかく、お家にお入りなさい。食事の用意ができていますよ。」言われるままに 家に入ると、その頃は息子と娘がかけつけてきて、 「おとうさん、おみやげはー。」 「おみやげかー、そうか、おみやげだったね。なんにもないんだよ、ごめんね。」と言うのがやっと。さすがに夫の様子がまともでないのに気がついたか、おみやげがないと、ぐずる子供を部屋に行かせて、 「あなた、何かあったのですか。」 「きょうは何日だね。」 「まあ、1日ですよ、5月1日ですよ。」 「昭和何年だね。」 「えー。」 「だから、いまは昭和何年かね。」 「30年ですよ、あなた。」 「そうか、30年か、よかった、よかった。」 「なにが・・・、なにがよかったのですか。」とさすがに心配そうである。 「とにかく、なんだか疲れたよ。悪いが、ふとんをしいてくれ。」 「ま、どうしましょう。」といささかうろたえ気味。ここまではわたしも覚えているのだが・・・・・、 次に気がついたときは、まだ薄暗い感じの部屋の中だった。まくらもとで、父母と妻がなにやら、ひそひそ話をしている。わたしが「う〜ん。」とおもいっきり背伸びをすると皆びっくり。 「アーよく寝た・・・・・、なんだねみんなそんなところで・・・・・?」 「あなた、あなた・・・・・・、よく気がついて・・・・・。」と妻が泣きくずれる。 「慎吾、お前大丈夫か。」と父がいぶかしげに聞く。 「大丈夫・・・・・?何かあったのですか。」 「大丈夫も何も、お前は丸2日間眠ったままだったのですよ。」と母も涙ながらに言う。 「2日間も寝たまま・・・・・、きょうは何日ですか。」 「5月3日ですよ。」と妻。 「朝ですか、夕方ですか。」 「朝だよ、慎吾お前本当に大丈夫か。」と父がまゆをひそめる。 「5・・・月・・・3日・・・、いけない文化祭の応援にいかなければ・・・・・。」 とガバッと起き上がる。なんだか節々が痛む。それからひと騒動あって、結局、役場にはきのう、3日は欠勤する旨すでに伝えていたそうで、勤めのほうは心配いらないといわれた。 それに、きのうはかかりつけの医者がきて、いろいろ見てもらったがグーグー寝ているため手の打ちようがないと言って帰ったそうである。 「とにかくこの2日間どうしとったんか、慎吾。広島のおじさんとこへ行くと言ったきりだからな。それにおじさんとこへ電話しても、慎吾は来ていないと言うし・・・・・。」 「どうしていたと言っても・・・・・、ちょっと待てよ・・・・・。それよりおなかがすいたよ。」 「いま春子さんが食事の用意をしていますよ。」 で、食事をしながらの会話となった。まだ6時過ぎなので子供は起きてこない。 「あー、やっぱり日本の食事はうまい。」と、めざしをかじりながら、じっくり味わう。 「う〜ん、みそ汁も・・・・・いいねえ。」と言うもんだから、みんなしぶい顔つきで時折、私を見ている。わたしの頭の中では、この不明の2日間は、実は数ヵ月も庄原を離れ、どこか遠いところに行っていた気がするのだ。 3人とも自分たちは食べるのを忘れて、わたしの食事をあきれながら見ている。それはそうだろう、なにしろごはんだけでも5杯もおかわりしたのだから。 こういった調子で数日が過ぎで、ようやくふつうの生活にもどったが、フィルム30本も買って、その金をどこで捻出したかもわからないし、駅前のカメラ屋に行ってフィルムを売ったかどうか聞きに行った時も、30本は確かに売ったけれども、私にではないと言う。 店主が気がついたら、フィルムがなくなり、お金が置いてあったと言う。とにかく、写真を写しに本郷町あたりをブラついていたのは確かなのだが、それから先の記憶がさっぱりないのである。本当にわたしは2日間どうしていたのだろう。 なんにしても、フィルムを現像してみれば何かわかるかもと現像し、プリントして見て全くびっくり仰天。 写し出されたプリントはどう見ても天体写真か、珍奇な風景写真ばかりで、どうしてこんなフィルムを手に持っているのかもさっぱりわからない。そうして、すべては忘れ去られたのだ。 時は流れ、昭和の世も終わり、平成の世となった。わたしも70才を越える身となった。勤めは60才で退き、あとは家で農業をやりながらの年金生活に入ってもう10年以上になる。 あれは平成5年のことだ。以前からなぜか気になっていたブルーのユーノス・ロードスターの中古を買って、庄原近傍をルーフをしたまま走らせていた。このごろはこの車に乗ってよくドライブするのだ。 その日は、晩秋にさしかかった紅葉が映える快晴の日よりだった。いつもならステレオなんか全く聞かないのだが、 その日は、なぜか前日CDからダビングした60年代のアメリカンポップスのテープを乗せていた。 その日はなぜか猫山のそばの183号線を走っていた。 その日はなぜかオープンで走っていた。 その日は、なぜかロードスターで初めて、アメリカンポップスを聞いていた。 そして、まぬけなキューピット、恋はすばやく、恋の片道切符、などを聞きハミングしながら実に、爽快な気分でドライブしていたのである。 そして、ちょうどイーディ・ゴーメの恋のボサノバを聞いていた時、何かゾクゾクゾクッと背筋が寒くなるのを感じ、瞬間、この40年間、こころにもやもやしていたものがスーと消え、脳天の毛細血管の血が20才頃の血液のようにサラサラ、サラサラと流れる音がした。 そして、あの消滅の2日間を一瞬で全てを思い出したのである。その瞬間、眼前をGTRが接近、思わずハンドルを左に切り急ブレーキ。双方すごいタイヤのきしる音がしたが、幸いにもスカイラインはちょっと止まったかと思うと、そのまま走り去ってくれた。 何のことはない、わたしがボーとして左カーブを直進、センターラインを大きくはみ出していたのだ。GTRのドライバーの腕がよかったのは本当に運がよかったのだ。 車から降り、しばらくボー然としていたが、誰もいないのを幸いに、燃えるような紅葉の森に向かって、大声で叫んだ。 「思い出したぞー、思い出したぞー。あ、あの宇宙、宇宙旅行は本当にあったんだー、あったんだー。」こんな大声を出したのは、少年時代以来だ。なんだか涙が出て止まらなかったが、実に爽快な気分だった。これで皆にあの日のことが説明できる。皆あの日のことは口では言わないが気にしていた。 父は他界したが報告はできる。妻や母には・・・・・、待てよ、今さら、今さら40年も前のことを説明して何になるというんだ。かえって頭がおかしくなったと思われるのがおちでは・・・・・。 そうだ家族にはだまっていよう。それがいい、それがいいのだ。しかし、あの1200枚におよぶ写真はどうだ。あれは1枚1枚説明できるぞ。そうだ、あの写真を公開しよう。そうすれば、人類のためにもなる、人類のためになる。 いや、待て、本当に人類のためになるだろうか・・・・・。わからない・・・。 家に帰っても当分の間、頭が混乱していたが、しだいに落ち着き、1つ、1つの写真の整理をしていた。整理しながら、ふと考えた。そうだ、この中の写真の傑作を大友に見せてやろう。あいつなら、趣味で天文に凝っているのだから、すこしはわかってもらえるのでは・・・・・。 で、三次の大友を訪れての会話は・・・・・さえないものだった。 「なになに、これが地球誕生直後の写真だって。」 「うん、20億光年かなたの資料室みたいなところで写したんだがね。」 「20億光年の宇宙のかなた・・・・・。」そこで時間をかけて、今までの経緯を述べたが、あの顔つきでは、大友は全く本気にはしていないだろう。 「これが誕生直後の月?」 「そう、本当に生まれたてほやほやの月だよ。なにしろ地球をぶち抜いた直後の月だよ。ほら、煮えたぎっているのがわかるだろう。」 「地球を巨大隕石らしいものがぶち抜いた・・・・・?」 「うん、らしいではなく小惑星がぶち当ったんだよ。これなんか、宇宙の涯といわれたところで、長時間露光しているが・・・・・。」 「なんだかごく普通の天体写真じゃないかね。星の数がやけにすくないがね・・・・・。」 「それにその涯を突き抜けた写真がこれでね。」 「なんだ、さっきの写真と同じじゃないか。星の位置が少し・・・・・、」 「涯を突き抜けると8000億光年の宇宙の反対側に瞬間移動するのだと言われたのだがね。」 「8000億光年・・・・・、瞬間移動・・・・・ね。」 「うん、なんでも空間が曲がっていて、涯の外には出られないということだったね。」 「空間が曲がってね・・・・・、まあ、空間は曲がるもんじゃあるけどね・・・・・。 それにしても、これって安っぽいSF小説みたいだよ・・・ね。」 「なにしろうまく説明できなくて・・・・・。」 そんなこんなで、とにかく知り合いの天文台の専門家の方にまわすけれども、返事はあまり期待しないでくれと言われた。 あれから1年近くになるが、天文台のほうからはウントモスントモ返事がないそうである。 それにしても秀樹君が会いに来ないのはどうしたことだろうか。4〜5年に1度は庄原を訪れると言っていたのにね。最近は、田んぼは息子夫婦にまかせて、わたしたちは1反ほどの畑に山野草や野菜を植え、妻と一緒に耕し、時折、ロードスターやカワサキWで県北のあちこちを走り、紅葉にかこまれた近くの小川に降りて、小石の上に腰をすえ、コールマンのストーブで湯をわかし、コーヒーを飲みながら、 「う〜ん、これは秀樹君の缶コーヒーよりいけるな。」と思う。そして、時々、田舎のバスの船長のことを考える平凡な日々である。 青い鳥 平凡のなかに あるのかも |